2022年5月7日(土)晴れ時々曇り
久しぶりすぎる城巡り。
先日車を購入したので、ちょっとだけドライブがてら行ってきた。
ゴールデンウィークも終盤だが、どこにもでかけておらず、自宅庭の草取りばかりしていた印象なので、まあ自分的にはいい気分転換になった。
100名城については、興味がある人は、過去記事を見ていただきたい。
「日本100名城®」の選定は日本城郭協会が財団法人となって40周年を記念する事業として、文部科学省・文化庁の後援を得て企画され、以下の100城が平成18年2月に発表されました。日本を代表する文化遺産であり地域の歴史的シンボルでもある城郭、城跡を、多くの人に知ってもらい、関心を高め、ひいては地域文化の振興につながることを念じて設定されました。また翌平成19年にはスタンプラリーを設定したことにより、多くの人が全国の城郭に直接足を運ぶきっかけともなりました。ー引用元:日本城郭協会
私自身は、2013年にスタンプラリーを開始した。
今まで、日本100名城55城、続日本100名城10城、計65の城に登城しスタンプを押してきた。
せっせと100名城制覇に向けて旅を続けてきたのだが、時間とお金がかかること故、途中で中断していた。
すると今度は、2017年に続日本100名城が選定され、スタンプラリーも開始。
なんと!!!
これを聞いたときには驚いたが、まだ100名城も達成してないのに、新たに100名城が追加されるとは・・(笑)
遠くへの旅は、なかなか行けないにしても、近隣は行ってやろうじゃないかと、ちまちまとスタンプを押しに行くのであった(笑)
続日本100名城No.189 麴智城
長者館
駐車場に車を停めて、降りてすぐ撮影した(笑)
この建物は、敷地内の出入口にあり、物産館となっているようだ。
入っていないので詳細は不明だが、食事ができるスペースもあるとのこと。
温故創生館
スタンプはこの建物内にある。
入口で係りの女性の方が待ち受けられていた。
「100名城スタンプはここですか?」
と聞くと、すぐに用意してくださった。
中は、資料館になっており、鞠智城のあらましがビデオ上映されていた。
案内されたので少しだけ拝見した。ビデオは約10分間だそうだ。
敷地の中にある建物や見どころなどを紹介されていて、とてもわかりやすいビデオだった。
板倉
敷地内は、高い建物はなく、視界が開けているため、建物はすぐに目に入ってくる。
一部工事中のところもあったが、綺麗に整備された芝生が印象的だ。
芝生と芝生の間の整備された道を歩いていくと、こんな景色が目に飛び込んできた。
車で来たのですっかり忘れていたが、ここは山城だった。
下の景色も緑が溢れ、広い空とともに美しい。
この建物が板倉。
武器を保管するための倉庫だそうだ。
中に入ることはできないが、見ることはできたので、少しだけ。
当時はこんなに綺麗ではなかっただろうと思うが、気持ち涼しく感じた。
広い。
当時、棚などはあったのだろうか(笑)
あるよね。
武器といってもどんなものかよくわからないけど、大量だったろうし、無作為にポンポン置いておくわけないよね。(笑)
長者山展望広場休憩所
一応帽子は被っていたのだが、晴れてきて、暑くなってきたので、こんな木漏れ日の道がとても気持ちがよかった。
この道を抜けたところに、建物があった。
暑い中だとなおさらだが、パンフレットを見ながら歩く気にならないのは私だけだろうか(笑)
この建物が長者山展望広場休憩所だそうだ。
この建物は中に入ることができた。
「履物は脱いでください」とのことで、脱いだものの、誰もおらず、一人でどうしていいかわからなかったので、早々に退散することに(笑)
ここからの景色もいい眺めだ。
灰塚まであと少しだと思うのだが、靴を脱いでしまったことで、なんとなく気が緩んでしまい、このままUターンして折り返した。
兵舎
この建物が兵舎。
防人たちの生活の場だそうだ。
防人=兵士だと認識しているけど、この空間でどれだけの人が生活していたのだろう。
食べて寝るだけであるなら、そんなに大きい建物ではないので少人数なのかな。
この建物は1棟だけでなく、複数存在したのなら、話は別だが。
中は、古代の城が紹介されていて、こんな↑のもあって、集中力ゼロ(笑)
米倉
これが米倉。
文字通り食糧庫だったようだ。
どうしても『よねくら』と呼んでしまう(笑)
そして『りょうこ』と連想してしまう。。いかん集中力が・・(笑)
鼓楼
鞠智城のメインシンボルとなっている鼓楼(ころう)。
八角形となっており、高さ約15.8m、三階建てとなっている。
近代のお城のイメージだといわゆる天守みたいなものかと思っていた。
中に入ることはできないが、見ることはできたので、覗いてみると、、
お??
建物の柱ばかりが並んでいて、どうやら上に登ることさえできないのではないかと思えた。
なぜなら階段が見えなかったから。
ではこの建物は一体何なのか。。
遠くから目印となるためのもの??
まとめ
鞠智城は、築城年数は不明なのだそうだ。
発掘調査によると、七世紀後半~一〇世紀中頃まで存続したとされる。
鞠智城は、7世紀後半(約1,300年前)に大和朝廷が築いた山城です。当時、東アジアの政治的情勢は、非常に緊張していました。日本は、友好国であった百済を復興するため援軍を送りましたが、663年の「白村江の戦い」で唐と新羅の連合軍に敗北しました。このため、事態は急変し、直接日本が戦いの舞台となる危険が生じました。そこで九州には、大宰府を守るために、大野城(日本100名城No.86)、基肄城(続日本100名城No.184)、金田城(続日本100名城No.186)が築かれました。鞠智城は、これらの城に食糧や武器、兵士を補給する支援基地でした。ー引用元:鞠智城パンフレットより
ちょっと時代が古すぎてしまうが、当時の面影を無理やりにでも想像しつつ、そうだったのか~と、ロマンを求めるのもいいかもしれない。
冒頭にも触れたが、ゴールデンウィーク唯一のおでかけとなった。
人もまばらで、美しい山々と、緑と、空でいい気分転換となった。
貴重な城を見ることができて、いい一日だった。
また近くの城に足を運べるよう、タイミング見ていこうと思う。