お盆で親戚が私の家に来た。
親戚は私にこう言った。
「おじいちゃんとおばあちゃんに手を合わせに行こう」
といって子どもたちと一緒に来た、と。
といって子どもたちと一緒に来た、と。
けれど、その言葉には圧倒的に説明が足りない。
手を合わせるとは、どういうことなのか。
なぜ来たのか、その思いは何なのか。
そこが伝わらないまま、ただ形だけ仏壇の前に座り、なんなら立ったまま手を合わせる。
玄関を入ってすぐ、私に断りもなくテレビをつけ、仏壇の前では長男が横になって寝そべる。
その子を注意しない親。
「何か飲む?」と聞いても、「いらない」の一点張り。
親も同じだった。
自分の家に招いた客へのもてなしを断られたら、自分だったらどう思うのだろう。
会話はほぼゼロ。
大人はテレビ、子どもはスマホ。
私の家に来て、私と話す気はないのだろうか。
これがもし自分の家だったら、どう思うだろう。
勝手に入ってきて、勝手にテレビをつけ、会話もせずに時間を過ごす。
それをされたら、私は相手を軽んじられたと感じる。
来てあげた、という自己満足。
お互いに思いやりや敬意がなければ、これ以上の付き合いは難しい。
話しても伝わらない、わかりあえる気がしない。
静かな部屋に、ただ後味だけが残った一日だった。