仏壇に手を合わせてくれたことは、ありがたいと思います。
でも、その後の光景に、私は深く落胆しました。
会話のない時間
子どもたちはずっとスマホを見ていて、私が話しかけても目は画面のまま。
仏壇の前で寝そべる姿さえありました。
感じたこと
私の家や、ご先祖様、そして私自身に対する敬意を感じられませんでした。
「来てあげている」という上から目線。
忙しい合間を縫って来たことを強調されても、心は通いません。
正直、こう思いました。
——もう、来てもらわなくていい。
私の中で越えた一線
家とは、仏壇とは、そんな軽い場所ではありません。
お盆はご先祖様を迎え、共に過ごすための大切な時間です。
その想いを共有できない相手と、同じ空間にいるのはつらいことでした。
わだかまりを手放すために
二度と同じ思いをしないために。
そしてこれからは、私の時間と空間を、心を通わせられる人とだけ過ごしていきたいと思います。