日本100名城 No.24 武田氏館

2019/06/30

甲信越_山梨

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甲府城から甲府駅へ戻りまして、

駅前にあった信玄公像にご挨拶。

貫禄ありますよね。

大河ドラマ「武田信玄」を見ていたので、中井貴一の印象が強いんですけども、

実際はこんな感じだったのかな~。


さて、ここから武田神社へ向かうわけですが、

甲府駅から一直線に向かうこと約3km弱。

徒歩で行けないこともないけれど、ここはバスで向かいました。



武田神社は、武田氏館(躑躅ケ崎館)跡地でもあります。




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武田神社は武田信玄公を御祭神としてお祀り申し上げております。
信玄公はあらためて申すまでもなく、我が国戦国時代きっての名将であります。
大永元年(1521年)当神社の背後に控える石水寺要害城に誕生され、
天正元年4月12日に上洛の夢半ばに信州駒場で53歳の生涯を終えますが、
21歳の時に国主となって以来30年余、諸戦に連戦連勝を重ねるのみならず、
領国の経営に心血を注ぐ中、特に治水工事、農業・商業の隆興に力を入れ、領民にも深く愛されました。
而して、現在でも県民こぞって「信玄さん、信玄さん」と呼びならわし敬慕の情を表し、
郷土の英雄として誇りともする所以であります。
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参拝後、御朱印もいただいてきました。

おみくじも引かせていただきました。


最近のおみくじの大吉率の高さ。

感謝の心と笑顔を絶やさず、日々を過ごしていきたいと思います。


↑姫の井戸


少し散策したあと、宝物殿を見学しました。



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躑躅ケ崎館は、永正16年(1519年)信玄公の父信虎公が石和館より移り、天正9年(1581年)晴信公の子、勝頼公が新府に移るまで62年の間、甲斐武田氏の本拠、甲斐の政庁として天下にその名を轟かせました。
周囲には武田二十四将をはじめとする諸将の屋敷が立ち並び、さらには職人町もあり、初期の城下町を形成しておりました。
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信虎→信玄→勝頼の三代にわたって武田王国を築いてきたの甲斐国をたくさん見学させてもらいました。

滅亡してしまったので、建造物があまりなく残念でしたが、

ここ武田神社では特に、武田家の歴史がたくさん詰まっていて、地元の皆さんから親しまれている印象を受けました。

戦国大名として名前を知らない人はいないんじゃないかと思う、武田信玄公。

上杉謙信との川中島の戦いで幾度も死闘をしてきた大名としても数々の歴史を残しています。

そんな信玄公、武田家ゆかりの地を見学することができて、感無量。


この日一日で、

1)新府城
2)要害山城
3)甲府城
4)武田氏館

の4城を訪れることができました。(お腹いっぱい)

山梨県制覇達成。




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