藤村記念館から徒歩5分くらいですかね、
甲府城到着です。
近い~(笑)
現在は、舞鶴城公園となっているようで、昭和62年~平成元年にかけ、
舞鶴城公園整備計画のもと、復元や修復でかなり綺麗に整備されていました。
綺麗すぎて逆に違和感(笑)
皮肉なものですね、城好きとしては、その”古さ”に愛着があったりするもので。。。
↑内松陰門(うちまつかげもん)
やたら天守台近辺の石垣を撮っていましたね。
石垣を見たのが久しぶりだったので。。
その天守台からの眺め↓
↑天守曲輪にあった井戸。
天守台から降りてくると、
↑唯一の櫓、稲荷櫓。
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天正10年(1582年)武田氏滅亡後、甲斐国は織田信長の領国となり、本能寺の変後は、徳川家康の支配下に置かれました。
しかし、豊臣秀吉が天下統一を成し遂げると、秀吉の命により甥の羽柴秀勝と腹心の部下である加藤光泰らによって築城が始められ、浅野長政・幸長父子の手により完成。
慶長5年(1600年)の関ケ原の戦い以降は再び徳川家の城となり、幕末まで城の歴史は存続しました。
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戦国時代から幕末までさまざまな城主となってきたんですね。
約400年後の今、とても綺麗に整備され、現代の職人さんたちの仕事っぷりが見事に反映されている印象を受けました。