清州城

2014/11/14

東海_愛知

t f B! P L

岐阜城をあとにし、

清州駅で下車しました。

目的地の清州城へは徒歩で行きました。



目印はこの「↑清州城」標識だけ。

不安ながら、テクテク歩いていきました。



そうして約15分後ようやく着きました。


ここに来て、一気に城モード!


そして初めての経験ですが、


閉門!!!

なんと月曜日はお休み!

なんと!城がお休みとは初でございます。

まあ、事前に知ってはいたのですが、来れば見ることは出来るだろうと。


中に入れないので、とにかく周りをウロウロ。









名古屋の中心から北西にわずか数キロメートル。

名古屋城を間近に望むところに清州城はありました。

かつて織田信長の居城でした。

清州城は江戸時代の初頭に廃城になり、現在は信長時代の遺構は何も残っていません。


私が大好きな司馬遼太郎作品「国盗り物語」でもこの清州城はしっかり登場しています。


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「清州」というのは、繁昌の城下である。

城下のはずれ、街道に面する須賀口というところに、尾張第一の妓楼の町がある。

そのころ、尾張のこどもたちは、


酒は酒屋に よい茶は茶屋に

 女郎は清州の須賀口に


と、うたって手まりなどをついたものだ。

信長も少年のころ村童たちとともに唄いあるいて、

(清州とはよほどにぎやかな城下らしい)

と、いわば都をあこがれるような気持ちでこの町を想像していた。

なにしろ、二百年ちかく尾張の国都のような位置をつづけてきた町なのである。


「国盗り物語」より抜粋

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清州城は伊勢湾に注ぐ五条川を水濠に利用していました。

川の西側にかつて、南北200メートルほどの本丸があり、

その北よりに天守台跡と言われる小さな丘があります。


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「具足を出せえっ、馬に鞍を置かせよ、湯漬けを持て」

と叫びながら駆け、表座敷にとびこんだ。

「小鼓を打て」

と、信長は命じ、座敷の中央にするすると進み出るや、東向きになり、ハラリと銀扇をひらいた。

例の得意の謡と舞がはじまったのである。

たれにみせるためでもない。

すでに死を決したこの若者が、いま死にむかって突撃しようとする自分の全身の躍動を、こういうかたちで表現したかったのであろう。

信長は、かつ謡い、かつ舞った。




人間五十年、化転のうちに較ぶれば、夢まぼろしのごとくなり、一度生を稟け、滅せぬもののあるべしや。


三たび舞い、それを舞いおさめると、小姓たちが六具をとって信長の体にとびつき、甲冑を着せはじめた。

やがて着けおわった。

信長、上段へ進む。

そこに軍用の床几がおかれている。

それへすわった。

三方が運ばれてきた。

その上に、出陣の縁起物の昆布、勝栗が載せられている。

信長はそれをつかむなり、ぱくりと口にほうりこんだ。

そのときにはもう駆け出していた。

「つづけえっ」



「国盗り物語」より抜粋

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これから桶狭間へ向けて出立される信長様と、それを見つめる濃姫。

なんて、素敵な像なんだ!!

この信長様像とは、思わず目をそらしちゃいそうになるほど、がっつり目があいました。


これはカッコよすぎる。





濃姫の眼差しがもう切ないわ~~

愛を感じます。

と思ったら、ここは二人の愛と希望の丘だそうです。


なるほどね~納得。




この清州公園もすっかり色づいておりました。

すっごく綺麗でした。


本能寺の変で信長は48年の生涯をとじます。

直後、清州城で天下の行く末をうらなう重要な会議が開かれました。

信長の後継ぎを決めた清州会議です。

なので、この清州城は一度行っておきたかったのであります。

中に入れなかったのは本当に残念。

お土産屋さんらしきお店も全部お休み。

何一つお土産を買うことも出来ず、この写真たちだけしか残っておりません。



清州城はその後有力大名の居城となりましたが、

慶長15年廃城となり、城下町はそっくり名古屋に移転しました。

380年の時を超えて、清州に城が復活したのは、平成元年。

五条川の対岸に高さ28メートル、三層四階建て、信長やその子信勝の時代を想定した、

望楼型の天守が建てられました。


天下取りの舞台となった清州城、

城跡は、戦国の世を生きた武将たちの記憶を今に伝えていました。



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