東京2020オリンピックが開幕した。(2021.7.23)
本当は、開幕直後に記事更新するはずだった。
開会式前に始まったソフトボール。
初めて見た自転車競技(ロードレース)。
初めて見たサーフィン。
オリンピックのときしか見ない柔道。
元部員としては見逃せない卓球。
オリンピックでは初めてじっくり見た陸上中・長距離・マラソン。
開催国は、メダルが比較的多い。
これまでのオリンピックでもそうだったので、今回のオリンピックでもそうなんだなって思う結果だった。
私が一番楽しみにしていた競技は、オリンピックラストを飾るマラソンだ。
8/7(土)6:00スタートの女子マラソン。
8/8(日)7:00スタートの男子マラソン。
気温27度、湿度60~70%台を超えるタフなコンディションとなったマラソンは、見ていても過酷なのがすぐにわかるほどだった。
東京オリンピックが開幕して数日後に、競技生活の最後をSNSで発表をした大迫傑選手。
2017年、福岡国際マラソンのコースだということを知ったこの年、初めて沿道に応援に行った。
注目選手と言われていた大迫傑選手が出場していたからだ。
トップランナーの走りは、当時初心者ランナーの私は、度肝を抜かれるほど速くて、フォームが美しくて、感動したのを今でも鮮明に覚えている。
この大会で日本人選手としては何年振りかの好タイムでゴールした大迫選手。
思えばこの大会以降、日本の男子マラソンが一気に活性化した。
翌年2018年の東京マラソンで設楽悠太選手が16年ぶりの日本記録更新。
5か月後のシカゴマラソンで大迫傑選手が日本記録更新。
この時点で、大迫選手は、日本人ランナーのカリスマとなっていた。
男子マラソン界いや一般ランナーも大迫選手が履いてるシューズを履き、大迫選手が着ているウェアを着用し、帽子も被った。
2019年9月の日本代表を決めるMGCで、3着となった大迫選手は代表選出されなかった。
この時の悔しさを糧に努力し続けた大迫選手は、2020年3月の東京マラソンで再び日本記録を更新した。
レース後のインタビューで流した涙に大迫ファンは大いに共感した。
東京オリンピックが1年延期となり、開催されるのかどうかが未確定だった2021年2月。
この大会が最後の開催となった「びわ湖毎日マラソン」で、鈴木健吾選手が大迫選手の日本記録を塗り替えた。
2021年7月23日、直前まで開催か否か曖昧だった東京オリンピックが開幕。
そして迎えた今日8月8日、東京オリンピック最終日早朝。
男子マラソン106人の選手がスタートした。
気温27度、湿度70%以上の過酷なコンディションだった。
途中棄権したのは30人。
完走したのは76人。
ゴールしただけでも立派なレースとなった。
日本代表の2選手は20kmを過ぎた時点で、先頭集団から大きく差がついていた。
そんな中、唯一大迫選手は先頭集団で安定の走りを見せていた。
レースが動き出す30kmすぎ、現世界記録保持者のキプチョゲ選手が(ケニア)独走状態に入る。
置いて行かれた大迫選手は必死に食らいつく。
一時は8位だったが、38kmすぎ、2人の選手を抜き、粘りの走りを見せる。
このまま最後は笑顔でゴール。
彼の陸上競技への情熱と行動と努力の結果だった。
誰よりも練習し、ストイックにメニューをこなし、レースで走っていた彼を知る人は、おそらく涙を流した人も多いだろう。
少なくとも、私は35kmすぎたくらいから、ウルウルしながら応援し、ゴール時点では涙が流れていた。
レース後のインタビューで彼は言った。
「100点満点の結果です」
自分を信じ、自分を讃えることができるのは、強さの証。
流した涙は、がんばってきた自分を許している証。
競技生活を引退しても陸上に関わる、と宣言している彼の今後にもまた注目していきたいし、大迫選手に続く後輩も応援していきたい。
何より、世界と競えるランナーになることが日本人でも叶うと、希望を持たせてくれた大迫選手に、孤独な42.195kmを力強く走り続けてくれた大迫選手に、心から賛辞を贈りたい。
勇気と感動をありがとう。
お疲れさまでした。
しばらくの間、本当にゆっくり、ゆっくり休養してください。