司馬遼太郎スペシャル4

2016/05/05

テレビ

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あれあれ、スペシャルどこまで続くのかしら、、、と思いながら第四弾。

■TVシンポジウム「司馬遼太郎からの問いかけ~没後20年 菜の花忌シンポジウム~」
NHK Eテレ 3月27日放送

※画像はすべて画面撮影につきあしからず。

<番組内容>
司馬遼太郎没後20年の記念シンポジウム。
司馬作品を愛してやまない論客たちがその魅力を語りつくす。
<出演者>
静岡文化芸術大学教授…磯田道史
慶応義塾大学教授…片山杜秀
作家…辻原登,東出昌大
<司会>文化外国語専門学校校長…古屋和雄






シンポジウム・・・一つの問題について何人かが異なる面から意見を述べ合い、質疑応答をくりかえす形の討論会。


いや~、実はこれ、昨年の3月にも

■TVシンポジウム 大坂の陣400年“城塞”から読み解く乱世~菜の花忌シンポジウム

を観たんですが、毎年やってるんですかね?

超マニアック、というか、本当に司馬遼太郎作品を読んでる人じゃないと内容がちんぷんかんぷんになるだろうと思いながら、

とてもとても興味深く視聴いたしました。

東出さんが述べられる言葉ひとつひとつがとても丁寧で、セリフではない彼の言葉が一番響きました。

今回のシンポジウムのサブテーマは、

「司馬作品を語り合おう-今の時代を見すえて」

ということで、それぞれの好きな司馬作品TOP3発表から始まり、

司馬作品について、司馬さんが足を運ぶ旅の見方から、歴史のとらえ方、登場人物の描き方などなどを語り合う、とてもとても熱い内容でした。


「私にとっての旅」『ガイド 街道をゆく(近畿編)より』

私の楽しみというのは、

毎日書斎でうずくまっていることらしい。

杜子春が、辻で人を待っているように、

断簡零墨(文書の断片)を見、

やがてそこから人間がやってくるのにある。

無論、無数の場合、あり損ねてもいい。

いまだにやって来ぬ人もいる。

旅には、そのために出かけるようなものだ。

人間という、傷ましくもあり、しばしば滑稽で、まれに荘厳でもある自分自身を見つめるには、

書斎など思案だけではどうにもならない。

地域によって、時代によって、さまざまな変容を遂げている自分自身に出会うには、

そこにかつていた、あるいは、現在もいる山川草木の中に分け入って、

ともかくも立ってみねばならない。

私にとって、街道をゆくとは、そういう心の動きを書いているのかということが、

手前のことながら、近頃になってわかってきた。



昭和58年に書かれたそうです。

司馬さんは旅に行く前に、当然その場所で何があったかを調べていくそうです。

頭の中で歴史空間を思い浮かべながら、見て行ったんだそうです。

旅に出るときに、「街道をゆく」を読んでから行くと、また見方が変わるかもしれませんね。


「この国のかたち」について意見を述べられていたのですが、

先日放送されたNHKスペシャル「この国のかたち」も記事にしましたが、

独特の司馬節で過激なことを書かれていると思いますが、

今の日本で生きる知恵として読み直すといいんではないかとおっしゃってました。


最後に、

これからの時代にこんな風に読者の皆さんにこの本を読んでみたらいいんじゃないかというアドバイスがありました。

■辻原登さん推薦
『坂の上の雲』は、日露戦争を描くわけですけど、「明治」というのは意外とシンプルな時代。
徳川が倒れて、西洋列強に対抗するために近代国家を作らなければならない。
目的が非常にはっきりしていた時代。
日露戦争っていうのは、ヨーロッパもみんな負けるだろうと思っていたのに勝った戦争。
ある意味、小説にしやすかった。
司馬遼太郎が書いたのは日露戦争が終わって60年後。
それくらい時間が必要なんです。
そうすると昭和の戦争を書くためには、100年くらいかかる。
こんな複雑な大正、昭和、今にかけてをどうやって読み解いたらいいのか。
もし、100年後に司馬遼太郎が昭和の戦争を描くとどうなるか、
ということを考えるのが、想像するのが司馬作品を読む骨になると面白いんじゃなかなと思います。

■片山杜秀さん推薦
『この国のかたち』『街道をゆく』の中で、文明に対する提言はたくさんなされているから、この膨大なものを、我々は今危機の時代にもう一度役立てるための種をたくさん撒いてくださっているから、謙虚にあらためて読み直してみようと思います。

■磯田道史さん推薦
司馬さんは明治人の素晴らしさをいう。僕も素晴らしい人たちだと思う。
明治人は自立している。その自立とは何か、もし、明治の人間が不況が続いてダメになりつつある今の日本に放り込まれたとき、どう考えるか。
明治人は、自分が持っている職人の技術で世界に対峙している。
だから自分はもう二割いい品物を作って、もう二割大きく外貨を稼ぐ。
自分の力で日本人みんなを食わしてやるみたいな気合がある。
司馬遼太郎は読まなきゃいけない。

■東出昌大さん推薦
司馬先生のインタビューの中で、「僕の作品『竜馬がゆく』も、『坂の上の雲』も、22歳のときの自分にあてた手紙だ。」とおっしゃっていました。
司馬遼太郎先生は戦争に行って、終戦をむかえ、なんで日本はあんな過ちを犯したのか、もっと日本人ていうのは賢かったんじゃないか、そう思いながら歴史を紐解いて自分で紡いで本にしたとおっしゃっていました。
僕は司馬先生の作品の中で大好きで、同世代の人たちにまず薦めるのが
『21世紀に生きる君たちへ』
そんな難しいことは言っていなくて、司馬先生は、人に対する「慈しみ」の心を持ちなさい。とおっしゃています。
歴史というのは、現代を生きる自分たちが困難にぶつかったときに、歴史を知っていることによってそれを乗り越える糧になってくれると思うので、どんどん若者が司馬先生のいろんな作品を見て、人を慈しむ心を持てたらなって思います。


東出さん、ってこういう人なんだなって新たな一面を見た気がしました。

他の先生方もみんな共通しているのは、今司馬作品を読もうってことですね。

私自身も学ぶことがとても多く、

歴史についてはもちろん、生き方についても、思考についても、これからのこともたくさん勉強させてもらっています。

本当にたくさんの人に読んでもらいたいですね。

シンポジウムの最後に朗読された司馬さんの言葉で締めくくります。




私は、第二次大戦の敗残兵としては、最年少の部類に属します。

当時私が、自分の家族のもとに戻りますと、

家も町もすべて焼けてしまっていて、

私が持っていた服も書物もすべて灰になっていました。

工業は壊滅しましたが、農業は、国民を十分には養いきれないものの、残っていました。

この農業、日本人の生命保持を最小限ながら保障し、

言い方を換えれば、そのことによって日本を回復させたのです。

決して、その後に再建された工業ではありません。

が、20世紀後半になって、巨大な土木機械を持つようになってから、

民族そのものが変わってしまったほどに、平然と自然を切り刻み始めたのです。

我々は、子孫に何を残すか、私の答えは簡単です。

「地球」。

「自然」と言い換えても構いません。

人間の生命が維持できて、それぞれが快適にその生涯を終えうる生態系を持った地球を次代に残すということです。

地球についての不安は、杞憂ではなく、世界中に共有されつつあります。

が、誰にこの杞憂を訴えていいのか、相手がいないのです。

国家や企業にとっての関心は、今日と明日のパンであり、

100年先のパンは架空のことなのです。

やはり、”人々”に訴えるしかありません。

この世に、国家やイデオロギーを超えた存在で、しかもそれらに影響を与えうる無名の、

しかも良識のある多数の人々など存在するはずがなく、

したがって私は居もしない相手に向かって、訴えようとしているのです。

過去において存在しなかったといっても、将来、100年後にひょっとすると出現するかもしれません。

そういうか細い可能性に向かってしか、訴えることができません。


司馬遼太郎


「訴えるべき相手がないまま」(司馬遼太郎が考えたこと)より


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