9月20日(日)2015関東城めぐりの旅二日目のつづきです。
到着したのは、弘道館。
とっても楽しみにしていた場所です。
勢い余って9時前に着いてしまったので、ここでしばらく待っていました。
弘道館の正門は、藩主が来たときと諸儀式を行うときだけ開門したのだそうです。
↑しっかり菱の門がはいってます。
↑砲弾跡。
庶民はここから入ります(笑)↓
↑弘道館正庁
徳川幕府のお膝元、御三家にも数えられた茨城県水戸市。
明治維新を成し遂げたのは、幕府の仮想敵国だった薩摩、長州、土佐を中心とした外様代表の藩でした。
しかし、徳川御三家のひとつ、水戸藩も、実は明治維新の立役者ともいえる藩のひとつなのです。
弘道館は、水戸藩九代藩主徳川斉昭によって創設された水戸藩の藩校。
その規模は全国一を誇り、さまざまな学問と武術、さらに医学や天文学などを教える総合大学のような施設でした。
さらに斉昭七番目の男子、七郎麿(しちろうまろ)、のちに最後の将軍となった徳川慶喜もこの弘道館で学んでいたほど。
まさに弘道館は水戸藩のエリート養成学校ともいえるのです。
ここは、御殿様しか入れない場所なので、当時は入ることは許されませんでした。
ここでは、のちに『水戸学』と呼ばれるものを学んでいました。
『水戸学』というのは、日本学であり、究極の歴史学。
水戸黄門でお馴染みの水戸藩二代藩主徳川光圀最大の功績といわれているのが、
日本の歴史書『大日本史』の編纂。
全397巻、目録5巻におよぶこの壮大な歴史書は、神武天皇から始まる天皇家の政治、さらに日本全国の史術を記録した、まさに究極の歴史書。
大日本史の編纂は、水戸藩の一大事業として代々受け継がれ、明暦3年(1657年)光圀30歳のときに着手されてから実に250年の時を経て、明治39年(1906年)完成。
そんな大日本史の内容を基本とした政治学がここ弘道館で学ばれていたのです。
そんな水戸学を学んだ最も有名な人物が、吉田松陰。
学者であり、明治維新の立役者でもあった長州の吉田松陰。
その松陰自ら水戸に足を運び、水戸学を学んだといわれています。
松下村塾でその後の維新の立役者となる人物たちに教えを説いた松陰でさえ、学びたいという欲求をかきたてられた水戸学。
そんな水戸学を水戸藩の中でも特に極めたのが徳川斉昭の懐固めといわれた藤田東湖。
この藤田東湖は、幕末のとある英雄に多大なる影響を与えたといわれているのです。
その藤田東湖の影響を受けた最も偉大な人物が、西郷隆盛です。
吉田松陰だけではなく、維新三傑の一人、西郷隆盛までもが水戸学を学んでいたのです。
水戸黄門と呼ばれた、水戸光圀。
その光圀から時を経て、およそ200年後におきた明治維新。
武士の世を終わらせた新たな時代の幕開けは、もしかすると、水戸黄門から始まっていた。
と想像するのも歴史の面白さなのかもしれません。
っとこんな感じで「歴史発見 城下町へ行こう。」で観て以来、
ずーーーーーーっと弘道館に来たかったのです。
番組のナレーションとともに撮影した写真を並べてみましたが、
本当に鳥肌の連続でした。
2011年の東日本大震災で甚大な被害を受けた直後の番組放映だったので、心配していましたが、
その後無事復旧し、今は立派な弘道館の姿を見ることができました。
そんな大日本史をこの目でみることができて本当に感無量。
何一つ読むことが出来ない自分が情けない。。。
弘道館を出たあとは、鹿島神社で参拝し、
八卦堂を見つつ、辺りを散策し、再び水戸駅へ向かいました。
いやぁ、来たかった弘道館。本当に良かったです。
あ、日本100名城スタンプもこの弘道館入口にあります。
受付の方がとても親切で質問すると、かなり詳しく教えてくださいました。
感謝。
また行くことがあったら梅の季節に行きたいなぁ。