5月3日(日)2城目
丸亀から快速で移動しまして、高松駅に到着しました。
高松駅から徒歩数分で、玉藻公園があります。
ここが、史跡高松城跡です。
サヌカイト(讃岐岩)を使った石垣を初めて見ました。新鮮。
↑鞘橋(さやばし)
二の丸から本丸へ続く唯一の動線であり、この橋を落とすことによって本丸だけを守ることもできるようになっていました。
絵図等によると、高松城築城当時から同位置に橋が架けられていたそうです。
天守台。
高松城は、またの名を玉藻城と呼ばれていますが、その由来は万葉集で柿本人麿(かきのもとひとまろ)が讃岐の国の枕詞に「玉藻よし」と詠んだことに因んで、このあたりの海が玉藻の浦と呼ばれていたことによるといわれています。
この城は、天正15年(1587年)に、豊臣秀吉から讃岐一国を与えられた生駒親正が、天正16年から現在地を高松と改め築城に着手した平城(水城)です。
縄張りは、当時築城の名手であった黒田孝高(如水)とも細川忠興ともいわれています。
月見櫓・水手御門・渡櫓・・・いずれも重要文化財
月見櫓は、出入りする船を監視する役割とともに、藩主が江戸から船で帰られるのをこの櫓から望み見たので「着見櫓」ともいわれているそうです。
散策していると庭園があったので、行ってみました。
藩の政庁及び藩主の住居として疲れていましたが、明治時代老朽化により取り壊され、その後3年の歳月と当時のお金で15万余円の巨費を投じて、大正6年(1917年)現在の披雲閣が完成。
とにかく、立派な庭園で驚きました。
艮櫓(うしとらやぐら)重要文化財
この石垣が綺麗すぎて違和感。。
旭門をくぐり、旭橋を渡り、
天守がないものの、現存櫓は、見応えありました。
これで、中津城、今治城、高松城と、日本三大水城をめぐることができました。
高松城は、最初にも書きましたが、サヌカイトと呼ばれる石垣が新鮮で、土地のものを使うって素敵だなと思いました。
次は、再び快速電車に乗りまして、隣の県に向かいました。