11月23日の続きです。
中津城目の前の中津川の眺めがとっても綺麗で、
この道をしばらく歩きました。
途中、とっても大きな銀杏の木がありました。
こんな路地を歩いていきました。
そして、次の目的地へ到着。
福澤諭吉旧居 福澤記念館です。
ここは中津で一番来て良かったと思いました。
中津と福澤諭吉がこんなにゆかりがあるとは知らなかったので、
大変勉強になりました。
天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず
福澤諭吉は、天保5年(1835)に大阪の中津藩蔵屋敷で、
13石2人扶持の下級武士の次男として生まれました。
1歳6か月のとき父と死別し、母子6人で中津に帰郷。
14,5歳のことからは勉学にめざめ、のちには儒学者白石照山の塾で学ぶ。
安政元年(1854)、19歳の時に蘭学を志して長崎に遊学、
翌年からは大阪の緒方洪庵の適塾で勉強に励みました。
安政5年(1858)には藩の命令で、江戸の中屋敷の蘭学塾の教師になりました。
これが慶応義塾のはじまりです。
西洋の文物に触れたいと考えた福澤は、万延元年(1860)幕府使節の護衛船「咸臨丸」に
軍艦奉行の従者として乗り込み渡米。
文久2年(1862)には、幕府使節の一員としてヨーロッパ諸国も歴訪。
議会や郵便制度、銀行、病院、学校などを旺盛な好奇心をもって見聞しました。
その後これらの経験をもとに『西洋事情』を著し、続けて『学問のすゝめ』などを次々と発表して、
世界と隔絶されていた当時の日本人を啓豪していったのでした。
ドラマ「仁」で武田鉄矢さん演じた緒方洪庵先生のところで勉強していた!
大河ドラマ「龍馬伝」でまたまた武田鉄矢さん演じた勝海舟とともに、あの咸臨丸で渡米していた!
現在の大河ドラマ「八重の桜」では今、新島襄が同志社大学設立しようとしていますが、
福澤諭吉もまたほぼ同じ時期に慶應義塾大学を設立していた!
わわわわーっ。
歴史って面白いですね。
まだまだ浅い知識で、知っていた人にはなんだそんなこと的かもしれないけれど、
私は今、歴史を知るたびにこうやってつながっていくことが面白くて、
鳥肌がたつ思いです。
その福澤諭吉を一万円札でしか見たことなかったんだけど、
この記念館は当然他の写真も展示されていました。
それがまた想像外で衝撃を受けました。(いい意味で)
福澤諭吉が一万円札になった昭和59年のお札に印字されている番号の第1号が
日本銀行から寄与されていて、そのお札が展示されていたので、
それもまた驚きました。
やっぱり一万円札になるほど、すごいことをやってきた人だったんだなって、
心底勉強になりました。
行ってよかった、中津。
このあと、もう一店の唐揚げ屋さんで、再び食べ歩きをしながら、
大分へ向かいました。