城めぐりと大分満喫の旅@中津・大分・別府2

2013/11/26

九州_大分

t f B! P L

11月23日の続きです。

中津城目の前の中津川の眺めがとっても綺麗で、

この道をしばらく歩きました。





途中、とっても大きな銀杏の木がありました。


こんな路地を歩いていきました。



そして、次の目的地へ到着。


福澤諭吉旧居 福澤記念館です。


 ↑外から見た旧居。

ここは中津で一番来て良かったと思いました。


中津と福澤諭吉がこんなにゆかりがあるとは知らなかったので、

大変勉強になりました。


天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず


福澤諭吉は、天保5年(1835)に大阪の中津藩蔵屋敷で、

13石2人扶持の下級武士の次男として生まれました。

1歳6か月のとき父と死別し、母子6人で中津に帰郷。

14,5歳のことからは勉学にめざめ、のちには儒学者白石照山の塾で学ぶ。

安政元年(1854)、19歳の時に蘭学を志して長崎に遊学、

翌年からは大阪の緒方洪庵の適塾で勉強に励みました。

安政5年(1858)には藩の命令で、江戸の中屋敷の蘭学塾の教師になりました。

これが慶応義塾のはじまりです。

西洋の文物に触れたいと考えた福澤は、万延元年(1860)幕府使節の護衛船「咸臨丸」に

軍艦奉行の従者として乗り込み渡米。

文久2年(1862)には、幕府使節の一員としてヨーロッパ諸国も歴訪。

議会や郵便制度、銀行、病院、学校などを旺盛な好奇心をもって見聞しました。

その後これらの経験をもとに『西洋事情』を著し、続けて『学問のすゝめ』などを次々と発表して、

世界と隔絶されていた当時の日本人を啓豪していったのでした。




そう、これ↑を見て、今まで見てきたのがつながった瞬間でした。

ドラマ「仁」で武田鉄矢さん演じた緒方洪庵先生のところで勉強していた!

大河ドラマ「龍馬伝」でまたまた武田鉄矢さん演じた勝海舟とともに、あの咸臨丸で渡米していた!

現在の大河ドラマ「八重の桜」では今、新島襄が同志社大学設立しようとしていますが、

福澤諭吉もまたほぼ同じ時期に慶應義塾大学を設立していた!

わわわわーっ。

歴史って面白いですね。

まだまだ浅い知識で、知っていた人にはなんだそんなこと的かもしれないけれど、

私は今、歴史を知るたびにこうやってつながっていくことが面白くて、

鳥肌がたつ思いです。

その福澤諭吉を一万円札でしか見たことなかったんだけど、

この記念館は当然他の写真も展示されていました。

それがまた想像外で衝撃を受けました。(いい意味で)

福澤諭吉が一万円札になった昭和59年のお札に印字されている番号の第1号が

日本銀行から寄与されていて、そのお札が展示されていたので、

それもまた驚きました。

やっぱり一万円札になるほど、すごいことをやってきた人だったんだなって、

心底勉強になりました。

行ってよかった、中津。


このあと、もう一店の唐揚げ屋さんで、再び食べ歩きをしながら、

大分へ向かいました。


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