こんなにお天気がいいから、
ちょっと地元柳川を散策してみようじゃないかプロジェクトです。
昨日UPした「ムトー商店」のあと、
柳川といえば、
川下りのあと必ずと言っていいほど立ち寄るであろう、
「御花(おはな)」。
そこそこの観光客の方がいらっしゃいます。
私はというと、
これまた数十年ぶりに訪れました。
ってか、大人になった今、本当に見方が違うなーって、
今回も大変勉強になりました。
「御花」って、当たり前のように耳にするけれど、
実は誰がどういういきさつでここに建てて、
どういう人がいたところなんだって、
説明できる人が果たしてどれだけいるんだろうか。。。
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元文三年(1738年)、
柳川藩五代藩主、立花貞俶(さだよし)は、
政務の疲れを癒し、
”家族と和やかな時を過ごすための場所”として
この地に屋敷を設けました。
当時この辺りは「御花畠」といわれていたことから
柳川の人々は親しみを込めて「御花」と呼ぶようになりました。
明治になると、立花伯爵家の邸宅となり、
迎賓館としての西洋館と、それにつづく和館の大広間という
当時流行の形式邸宅を整えました。
この邸宅と、クロマツに囲まれた池庭「松濤園」が
昭和53年に国の名勝に指定され、
平成23年に御花の全敷地およそ7000坪が
「立花氏庭園」として改めて国の名勝に指定されました。
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もっと詳しく知りたい方は、こちらへどうぞ。
こういうのを見ると、西洋風建築物が当時流行っていたとはいえ、
どうしても、旧岩崎邸を思い出します。
御花西洋館は、
現在はキリスト教式、人前式の結婚式場として、
あとは、ハウスウェディングのパーティー会場としても使われているんですって。
っと、長くなりそうなので、
和館はまた次回。。。