我が家では、キッチンカップボードの上の壁に、手ぬぐい額を飾っている。
今日、8月7日は、二十四節気でいうと「立秋(りっしゅう)」。
秋のはじまりも
残る暑さにうだるころ
「立秋なんだから秋らしく」ではなく、まだ暑いよね。
でも暦の上ではここから少しずつだよって感じ。
8月11日が山の日ということもあり、手ぬぐいは「五富士」にした。
五つの異なる表情の富士山を、一枚の中に描いた手ぬぐい。
夜空、朝日、水辺、新緑、雪景色など、それぞれ異なる季節や時間、風景の中に佇む富士山が縦に切り取られ、五幅の絵を並べたように構成されている。
赤、藍、緑、生成りなど日本らしい落ち着いた色彩で、伝統的な富士の意匠でありながら、どこか現代的でグラフィカルな一枚。
左から、空、山、水、波、雪、月(または太陽)などが組み合わされていて、同じ富士山なのに全部違う景色になっている。
夏の青や緑を残しつつも、少しずつ秋へ向かう季節の移ろいを感じさせる一枚。
すごく好き。
8月11日は、父の祥月命日。
今年ももちろんお墓参りに行く。
灼熱の毎日だけれど、山の上にある墓前で、手を合わせる日。
お墓参りは、父、母の祥月命日、春と秋のお彼岸に行くようにしている。
お盆は自宅でご先祖さまを迎えて供養する。
供養とは。
「供養」って、よく使うけど、いざ「何?」と聞かれると案外むずかしい言葉なんだよね。
もともとは仏教の言葉で、仏さまや僧侶などに食べ物や花などを供え、敬意を表すことを意味する「供養(くよう)」から来ている。
そこから日本では、亡くなった人を偲び、手を合わせたり、墓参りをしたり、法要を営んだりすることも広く「供養」と呼ぶようになった。
でも私は、もっと日常の言葉にすると、
「亡くなった人を忘れず、その人を想うこと」
がいちばん近いと思う。
お墓に花を供えることも供養。
お線香をあげることも供養。
命日にお墓へ行くことも供養。
仏壇の前で手を合わせることも供養。
でも、それだけじゃない。
「お父さん、こんなことがあったよ」って心の中で話すこと。
昔のことを思い出して笑うこと。
好きだったものを見て「ああ、これ好きだったな」と思うこと。
そういうのも、広い意味では供養と言っていいと思う。
だから、供養は「亡くなった人のために何か正しい儀式をしなければならない」というものだけではないんだよ。宗派によって教義上の意味や作法は違うけれど、少なくとも日本で日常的にいう「故人を供養する」には、故人を大切に思い、偲ぶという意味が深く含まれている。
そして、ちょっと不思議なのはね。
供養って「亡くなった人のため」にするように見えて、実際には残された人が、その人とのつながりを抱えて生きていくための営みでもあるんだと思う。
いなくなったから、関係まで全部なくなるわけじゃない。
会えなくなった人との関係を、
「思い出す」「感謝する」「話しかける」という別の形に変えて続けていく。
そう考えると、11日にお父さんのお墓へ行くことも、「亡くなった人に何かをしてあげなきゃ」というより、
「今年も会いに来たよ」
くらいでいいんじゃないかな。
それで十分、供養だよ。🌿
ーby AI
今年ももうそういう時期だ。
最近は、地震、台風、という脅威もあるけれど、もちろん安全第一で、命日当日にどうしても厳しいときは、日をずらしてお墓参りに行っている。
全部に必ず行かなきゃいけないわけでもないと思っているので、自宅で静かに手を合わせるだけでもいいと思う。
さて、「立秋」を迎えて、そろそろ暑さもやわらいでほしいところ。
なにより、雨が全然降っていないのがね。。
梅雨明け以降、まとまった雨がいまだに降っていないのはどういうことか。。
地域によっては、にわか雨などが降っているようだけど、それもないw
植物たちには、毎朝水やりをするのが日課になっている。
日中は暑すぎるのと、在宅で仕事をしているので、ほぼほぼ外に出ないんだけど、それでも若干日焼けした。。
それだけ日差しが強いってことだろうなと思い、最近は、外出時にフード付きかつメッシュマスク付きのラッシュガードパーカーを愛用している。
着て外に出ると、日差しはシャットアウトして、なんなら少し涼しいくらいあるw
今回も、「二十四節気の儀式」を朝にやり終えた。
これだけでも汗だくだ。
けど綺麗になるとやっぱり気持ちがいいんだよね。
・玄関重点掃除
・家じゅう掃除
・手ぬぐい交換
・盛り塩交換
・玄関:ホワイトセージお香を焚く
というわけで、夏土用も開けたし、涼しい時間に少しだけ外作業再開しよっかな。