家族

2016/09/25

日記

t f B! P L
何から書き留めていけばいいのか、

もうよくわからないけど、

思い出しながら、

書きます。


8月11日(木・山の日)

お昼過ぎ、母から電話がありました。

「パパの容態が悪いと、病院から電話があったから。今から行く。」

これまでの経過をいうと、始まりは今年の2月でした。

この時も、突然のことで、「いつどうなってもおかしくない状態」だと聞かされ、仕事を早退してかなり動揺した状態で病院へ駆けつけました。

結果、薬のせいで意識が遠かったものの、徐々にいろんな数値は良くなり、

父との会話もできる状態が続きました。

私個人のことでいうと、毎週末というわけではなかったけれど、できる限り、病院へは足を運んでいたつもりです。

この間、母は一日おきくらいで病院へ行っていたことを思うと、疲労が溜まっていたこともあり、

気分転換にと、4月に母が希望した東京への旅行にも行きました。

病院というのは、永遠に入院できるものでもなく、3か月が経過。

かといって、自宅へ帰宅したがっていた父の希望を叶えられるものでもなく、

それは『介護』生活の現実で、

母と私にとっては父の希望の帰宅させることができないという辛い選択で、

病院隣接の療養型老人ホームへ入居することになりました。

7月中旬、再度父の数値が悪くなり、再び同じ病院へ入院することになりました。

そしてまた同じことを聞かされます。

「いつどうなってもおかしくない状況」


そんなこんなで、迎えた8月11日の母から電話。

「パパの容態が悪いと、病院から電話があったから。今から行く。」

悪いってどこまで悪いの?ずっと悪いでしょう、と思いながら私はそのあと、病院へ向かいました。


時すでに遅し。


父は息を引き取っていました。

看護師さんによると、今朝まで会話ができていたとのこと。

いつかこの時がくるだろうと覚悟していたものの、

信じられませんでした。

まだ温かい父の顔を頭を体を何度も何度も触りました。

ずっとずっと父は頑張っていたんだと思うと、本当に心から「よくがんばったね」という気持ちでいっぱいでした。


哀しみに暮れる間もなく、

私は父をちゃんと見送りたい気持ち、ただただ夢中で、葬儀屋さんに電話しました。

親戚の方々へ電話しました。

お通夜、葬儀の手配を一所懸命やりました。

正直言うと、もうあの日、自分が何をやったのか覚えていないくらいです。

葬儀屋さんがいてくれて、本当にありがたかったです。

そんな中、遺影の写真をどれにするか、葬儀で流すスライドショーの写真を選び、キャプションなんてもうなんて書いたか覚えていません。

・葬儀場の設営Verはどれにするか
・棺はどれにするか
・受付は誰にするか
・会葬者へのお返しは何にするか
・お通夜の弁当はどれで何個頼むか

これ以外にも決めなければいけないことが山盛り。


8月11日、父の希望通り一緒に自宅で過ごしました。

8月12日、お通夜。

8月13日、葬儀・告別式。

最近は葬儀・告別式と同じ日に初七日まで済ませることが通例とのことでしたが、

お盆で食事の用意が間に合わず、参列していただく親戚の方々には申し訳なかったのですが、

8月17日、初七日。

再び、お越しいただいた方々への引き物と、会食の手配をしました。

で昨日、

9月24日、四十九日法要・納骨式。

法要の案内状作成、誰まで案内するか、あて名書き、引き物選び、会食の手配。


一連の流れを一旦、昨日で無事終えることができました。

ただ、やることは当然これだけではなくて、

・病院費用精算
・お通夜、葬儀参列者受付票整理
・お香典整理
・香典返し手配
・納骨、お墓手配
・年金未支給請求
・年金基金未支給請求
・保険会社給付金請求
・各種名義変更手続き
・各種保険手続き
・銀行名義変更

これでも書ききれません。

父は介護保険の手続き上、療養型老人ホームへ住民票を異動していました。

そもそも、なぜ住民異動をしなければならないのか、介護保険にかなりの疑問を抱きますが、

今そんなことをいってられるわけありません。

とはいえ、何十年と過ごしてきたのに、自宅もあるのに、父の最期に住民票を置いていたのは、

地元ではない市町村。

そこの市役所にわざわざ手続きに行きました。

さらに地元の市役所にも行きました。

大量の必要書類を役所から手配し、数えきれない書類の記入をしました。

当然、その書類請求の電話もしたうえです。

銀行にも行きました。

すべて、仕事をお休みしました。

今更ですが、私は正社員ではなく、派遣社員という雇用形態で、

そもそも派遣社員には忌引きというのは適用されず、有給休暇で休んでくださいとのことでした。

がすでにこれまでの父の容態急変などで10日の有給休暇は残2日しかありませんでした。

8月12日、8月15~19日はお休みをいただき、結果欠勤扱いでした。

ひぃ~~~~

厳しい現実。。。


そんなことをぐだぐだ言ってる暇もありませんでした。


母は、自宅で一人ぼっちになりました。

私は、すでに20年近く一人暮らしをしているわけですが、

父がいたころ、父は入院してたとはいえ、母と父は一緒に過ごしてきたわけで、

父がいなくなり、一人になった寂しさは計り知れません。

じゃ、私が一緒に住むかと言われると、それも厳しい現実。



父が亡くなってから今日までに、頭がパンクしそうになるくらい、

逃げ出したくなるくらい、本当に大変でした。

誰かが何かをしてくれていることに感謝することを決して忘れてはいけないと、

あらためて心に誓った日々でした。


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