日本100名城 No.58 明石城

2013/11/18

近畿_兵庫

t f B! P L
10月16日(水) 旅五日目。


大阪城からの翌日、

JR山陽本線明石駅に到着しました。

そうです、その明石駅ホームから丸見えのここに来ました。

その場所は、明石公園。

入ってすぐ、とき打ち太鼓↑というからくり時計(?)が出迎えてくれました。

理由はよくわからないけれど、黒田節を演じてたような。。



肝心のスタンプはこの場所のすぐ近くにあるサービスセンター(公園管理事務所)で

押すことができましたよ。


早速見えてきました。



↑こっちは右側の巽櫓。

もっと近くに行ってみる。



↑だいぶブレてしまっているけど、子供たちがゴミ拾い(多分)をしていました。

この公園は運動公園としても、とっても大きな公園です。






この2つの櫓は、基本土日の天気がいい日公開のようです。

この日はド平日だったので、外から眺めるのみ。



来ました。巽櫓↑


向こう側には、坤櫓(ひつじさるやぐら)。

天守閣がつくられなかった明石城では最大の規模をもつ櫓。

すぐ近くに天守台があるんですが、この櫓が天守閣の役割を果たしたとみられているそうです。




 天守がないので、とっても地味に感じるけれど、

それでもこの明石城は、徳川二代将軍秀忠が当時姫路城主だった本田忠政の指導を受けるよう命じ、この場所が選ばれました。

築城当時の明石城は、本丸に御殿を築き、四隅に三重の櫓を配したが、天守台の石垣は築かれたものの、天守閣は建てられなかった。





今までの城と違って、ザ・お城!の感じが薄かったかもしれません。

それでもこうやってお堀を見ると、城郭だったんだなって思います。

明石と言えば、平成7年1月17日の阪神・淡路大震災の震源地がすぐ近くです。

この明石城も400年近い歴史の中で最も大きな災害を受けました。

明石城のパンフレットに震災直後の写真が掲載されていますが、

この2つの櫓も一部の壁が崩落し、自然災害としては全国的にみても明治以降では最大級のものだったのだそうです。

そこから、国の重要文化財の2棟の櫓ばかりでなく、城郭石垣も伝統的工法で修理工事を受け、今の姿となっている。

とここまで聞くと、それはスタンプ押して、はい、サヨナラとはいきませんでした。

本丸土塀も立派でした。

何度もこの2棟の櫓と土塀を写真におさめようとシャッターを押しました。

そんなことしてると、公園を散歩している方に何度も話しかけてもらいました。


前日の大阪から台風一過のこの日は、まだ厚い雲が覆いつつ、

青い空がのぞきながら肌寒い一日となりました。

明石のタコせんべいをお土産に次の城へ向かうのであります。





















Translate

Google検索

自己紹介

自分の写真
Fukuoka City, Japan
日常のあれこれ(見たもの、聞いたもの、感動したもの、買ったもの、思ったこと)を記録として残しています。
※当ブログは、アフィリエイト広告を利用しています。

連絡フォーム

名前

メール *

メッセージ *

日本100名城|登城マップ

QooQ