日本100名城 No.89 佐賀城

2013/03/14

九州_佐賀

t f B! P L


私は城が好きである。

あまり好きなせいか、どの城址に行っても、むしろ自分はこんなものは嫌いだといったような顔を心の中でしてしまうほどに好きである。

(司馬遼太郎 『街道をゆく 大和・壺坂みち』より)

佐賀城に行ってきました!

いや~、想像以上に素晴らしい城址と本丸歴史館でした。

大満足です。


トップ画像は、本丸入り口にある鯱の門(しゃちのもん)。

江戸時代から残された唯一の建物として人々に親しまれてきました。

天保九年(1838年)に建てられ、名前の通り屋根には一対の鯱が飾られています。


鯱の門と同時に建てられた本丸御殿は、明治維新以後、裁判所や学校として利用されました。


その後、移設解体されましたが、平成15年に、木造で一部の建物が復元されました。


当時、本丸には五層の天守がそびえていたと言いますが、今は天守台だけが残されています。


その天守台も現在発掘調査中とのことで、立ち入り禁止となっていました。




天守は、享保11年の大火で焼失し、その後再建されることなく現在に至っています。


幅50m以上もある堀は、石垣ではなく、土塁で築かれています。


平坦な土地にあるため、城内が見えないように、土塁には松や楠が植えられました。

城が樹木の中に沈みこんでいるように見えるため、別名「沈み城」とも呼ばれてきたのです。


さて、ここは天守が残っていないので、メインはなんといっても本丸御殿となります。


↑御玄関(おげんかん)

鯱の門をくぐると、これが目の前に現われます。

本丸御殿の正面玄関です。


↑御式台(おんしきだい)

いわゆるお客様の応接間。


↑左側が外御書院(そとごしょいん)。この廊下を合わせると320畳の大広間。

この広ーい廊下を歩いていくと、御三家座(ごさんけざ)、屯之間(たまりのま)、御小書院(ごこしょいん)。

そして一番奥に御座間(ござのま)藩主鍋島直正の居室がありました。



ここは、「鯱の門」とともに、現存する天保期の建物です。

佐賀市重要文化財。

ここ、本当にワクワクしました。

当時の建物なわけです。

移築解体の際に、新しく使用した木材などもあったそうで、それが、明らかにわかるんです。


↑例えば、これ。

明らかに新しい木ってわかりますよね。

でもそれ以外は、当時使ってたのと同じだと思うと、すごいなぁ~って。よく残ってるなぁ~って。


さてさて、司馬遼太郎もここ佐賀城を訪れ、小説「アームストロング砲」で、幕末の佐賀藩の近代化に注目しています。


幕末、佐賀藩ほどモダンな藩はない。

軍隊の制度も、兵器も、ほとんど西欧の二流国並に近代化されていたし、その鉱業能力も、アジアで最も優れた国であったことは確かである。

佐賀藩の文明に比べれば、諸藩などおよびもつかなかった。

(司馬遼太郎 『アームストロング砲』より)




とにかく中の資料を吟味しまくりました。

佐賀藩の近代化がどれだけ優れていたか、ものすごーく勉強になりました。


昨日見終えたばかりの、平成2年(1990年)大河ドラマ「翔ぶが如く」にも登場した、
江藤新平が新政府に対しておこした佐賀の乱では、彼は佐賀城に立てこもります。

この時佐賀城は、政府軍の激しい銃撃にさらされました。

鯱の門には、その時の弾痕が幾つも残っています。


鯱の門は、幕末から現代までおよそ180年もの間、

激しい時代の移り変わりを見つめてきたのです。

って弾痕がリアル。




とまあ、いきなりの長文記事となっておりますが、タイトルからもわかるとおり、この春、私は日本100名城を辿る予定でございます。

城と桜。

これ以上の時季はないんじゃないかい。

九州もいよいよ桜の開花が始まりました。

佐賀城も少しずつ咲き始めていましたよ。


今でしょ。









Translate

Google検索

自己紹介

自分の写真
Fukuoka City, Japan
日常のあれこれ(見たもの、聞いたもの、感動したもの、買ったもの、思ったこと)を記録として残しています。
※当ブログは、アフィリエイト広告を利用しています。

連絡フォーム

名前

メール *

メッセージ *

日本100名城|登城マップ

QooQ